マジPEACE。

A「ほんと日本は平和だよね〜。」→B「マジPEACE。」から誕生。

【考察】若者が無気力な理由は画一的な評価制度と方法にあるのではないか?

今の若者は、「ゆとり世代・さとり世代」などと言われる。

20代の若者たち、若手社会人が当てはまる。

 

いつの時代もあることだが、「今時の若いものは」とレッテルを貼られやすい世代である。

 

特に、「出世をしたくない若者が増えている」ことは、この世代を象徴するひとつの事象である。

 

出世したくない理由は、

  • 人間関係のリスクを負いたくない
  • プライベートを重視したい
  • 責任が増えてまで仕事にかけたくない

などなど

 

 これは、なぜなのだろうか?ゆとり教育のせいなのか?

若者が無気力な理由を考えてみた。

 

目次

 

 

若者が無気力な理由は感情社会への変化?

ひとつ目は、感情社会への変化だ。

 

どういうことかというと、

物的欲求よりも感情的欲求が高い社会になったということだ。

 

これは、成熟社会において顕著なもの。

 

物的欲求が必要とするものはお金である。

お金がモチベーションになれば、人間関係などを気にするよりも物的欲求が勝るから頑張れる。

 

しかし、成熟社会において、欲しいものはある程度手に入り、物的にはほとんど不自由しなくなった。

価値観は多様化し、絶対的に良いものがなくなっていく。

 

すると物に価値観をおかなくなる、

価値観をおくのは、自分の感情である。

 

最近の信用経済というのも頷ける。

 

物的欲求の代わりに、自己承認・自己実現欲求が中心となるのだ。

 

するとどうだろうか?

仕事が、その2つを補完し得るだろうか?

 

答えはイエスでありノーだ。

 

その理由は後ほど説明するとして、ここからはそれがどうやって無気力につながるのかを考察していく。

 Contraloría Social

変わらない社会構造

 日本の社会構造は、「官僚制システム」と「村組織」が根強い。

 

どういうことかというと、

トップダウン式の縦割りシステムの中で、人間関係を重視する構造である。

 

これは、マニュアル的な作業効率をよくするもので、教育もこういった人材を育てるための制度となっている。

 

下が効率よく仕事をこなすには上の承認を得る必要がある、承認をうまく得るためには人間関係が大事になる。

だから人間関係に長けた人間が管理職にあがっていく。

 

例えば会社、大手企業と呼ばれるところは、

トップダウン式で下の人間には権限がない、管理職に求められるのは人間関係の調整力だ。

評価制度もあいまいで、人間関係に基づいたり学歴で決まる。

 

例えば学校、文科省からシステムが降りてきて現場で画一的に実施する。

現場にある程度権限はあるが、評価制度のシステムは入試制度を目的とすると偏差値のみに向かう教育となる。

 

これは、同じ作業をマニュアル的にこなす社会では有効なシステムである

 

しかし、このシステムは実情の感情社会に合っていない。

つまり、感情社会の人々(ゆとり世代)はそのシステムに馴染まないのだ。

 

そしてこのシステムが変わっていこうとしている今、移行時の隙間世代が「ゆとり・さとり世代」なのだ。

 

そう、社会構造を変えられなかったのに、感情社会へと先に変わってしまっているのだ。

 

実態に合わない評価制度

これまでの話をまとめると、

 

「感情社会になった

しかし、社会構造はそれにあっていない」

 

ということ。

 

いままでは、昇進、つまり物的欲求を得るために給料をあげる行為が最優先だった。

そして、官僚制や村社会において、その人々はコントロールしやすい。

逆に言えば、人々もそれを利用して上にいけた。

 

しかし、最近は、自己実現、つまりどれだけ自己承認や自己肯定を得られるかという行為が最優先となる。

 

官僚制や村社会では、その行為は承認をされにくい。

上に従わない、コントロールしずらい、仕事に全てを捧げない、飲み会に行かないのだ。

 

教育現場まで遡る。

個性が大事、平等が大事、そう言われて最近の教育を受ける割には、偏差値で評価を受ける。

勉強かスポーツでいい成績をとらなければ承認されないのだ。

 

そして、就職するためには偏差値の高い大学に入る必要がある。

当然、保護者の評価もそこに照準を合わせられる。

どこどこの子は〇〇高校にいった、どこどこの子は全国大会にいったなどなど、常に比較や評価に晒される。

 

個性はどこにいったのか?

 

結局、官僚制の評価基準に呑み込まれていくのだ。

 

しかし、その子供達は若者になり、就職する。

氷河期とは違い、どこかに就職できる時代だ。

 

そして、就職して気づく、

「あー、またこの評価制度の中で頑張らなきゃいけないのか」

 

でも必ずしも頑張る必要はない、物的にある程度は満たされているからだ。

 

仕事よりもプライベートが楽しい、プライベートのほうが、自己承認や自己肯定される、自己実現活動ができる。

 

これを上の世代は「無気力」だ、「さとり」だ、「ゆとり」だと評する。

 

実態がまるで違くはないだろうか?

 

ユーチューバーの隆盛や個人への投資VALUも、感情社会の実態とあっている。

 

若者は無力なのではない、自己実現をしたいだけだ。

 

最初にいった「仕事が自己実現を可能にするかどうか?」

 

これは人によるといえばそれまでだが、

仕事の価値観が変わることを感じる。

 

将来、人間がする今までの仕事は減り、創造的な仕事が増えていく。

 

うまく社会が適応すれば、みんな自己実現をできる仕事が増えていくだろう。

 

私たちは、こういった若者達が日本で活躍できるような受け皿をつくらなければならないのではないだろうか?